【親日的な国ミャンマー】

 ミャンマー(旧ビルマ)は1954年11月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきました。特にネ・ウィンは日本の政治家に根強い親ビルマ的空気を敏感に察知し、「親日国ビルマ」を演出することに長けていたことは現代の日本とミャンマーの関係史研究における常識となってます。

 欧米諸国とは対照的に、1988年の軍事クーデター後に成立した軍事政権をいち早く承認した他、軍事政権との要人往来や経済協力による援助を実施し続けてきました。ただし、人道的な理由かつ緊急性がない援助は、2003年から停止されました。ビルマの人権問題や民主化問題に対し、日本政府は軍事政権と民主化勢力の双方に、“対話による解決を粘り強く働きかける”方針を採用しており(長井健司氏の射殺事件に関する福田康夫元総理大臣の発言、「直ちに制裁するかどうかはもう少し見極めてから」など)、これまでに幾度か軍事政権に働きかけを行ってきました。しかし、芳しい成果は上がりませんでした。

 ビルマの軍歌には軍艦行進曲の旋律を流用したものがあったり、歌謡曲にも日本の旋律を流用した物が見られる等、ビルマ軍部の親日的傾向を示す根拠として提示されることがありました。

 日本では東京の高田馬場に日本国内最大の在日ビルマ人コミュニティが存在し、ビルマ料理店やビルマ語教室などが集中しています。2010年時点で、在日ビルマ人は約8千人です。

  2012年2月、日本政府はヤンゴン郊外のティラワ港経済特別区の上水道・下水道・道路・光ファイバーケーブル、次世代電力網といった最先端のインフラ整備を請け負いました。実際の開発はミャンマー側が日本の企業を誘致し行います。ミャンマー側もかねてから日本に開発をゆだねたいという意思をテイン・セイン大統領が示していました。これにより、立ち遅れていたミャンマー経済の大きな飛躍が期待されています。